100周年を迎えて
学校法人長嶋学園理事長 増田正史

学校法人長嶋学園創立100周年を迎えるにあたり、謹んでご挨拶を申し上げます。本学園の歴史は大正15年に開校しました静岡女子商業学校まで遡ります。開校以来、社会のニーズを踏まえつつ、様々な課題に対して果敢に挑戦し続けてまいりました。これまでの卒業生総数は2万有余を数え、社会の様々な分野で活躍しています。これもひとえに創立から今日に至るまで学園を見守り、支え続けていただいた学園関係者各位、並びに地域のみなさまの温かいお力添えの賜物と心より感謝申し上げます。
大正15年、静岡商業校で教鞭を執られていた長嶋行吉先生は、女子が社会で働けば日本の産業は2倍の生産を上げることができると考えて女子の商業校を創立することを決断しました。その当時、男性は社会に出て働き女性は家庭を守るのが常識で、静岡商業も男女共学制ではなく男子校でした。4月15日、静岡市水落町の同仁教会付属校舎を借用して開校しました。参集した生徒は32名、教員は校長を含めて7名でした。平成15年に本校を男女共学にしたのは少子高齢化の進行から将来を考えての決断でしたが、結果的にはよいタイミングだったと思います。
100年という時間には様々な出来事がありました。昭和15年1月15日の静岡大火で当時稲川にあった校舎が全焼。同年石田に新校舎を建てるも、20年6月の戦災で再び全焼し、近隣の会社で火災を免れた施設を借りて授業を行いました、座敷の教室で座って授業を受ける学級もあったそうです。その頃の私は中学から高校時代を過ごしていました。学生服の生徒は数えるくらいで殆どは国民服や手に入る服、下駄履きで通学していました。食料も乏しく配給制度でしたが、時にはジュースの配給もありました。私は学校を終えると畑に行き、麦や甘藷の栽培作業を手伝ったものです。多くの家庭では男性は軍人として駆出され女性や老人子供が食料生産に従事し、生きていくのがやっとといった時代でした。
生活に少しゆとりが出てきたのは大学に進学した頃でした。校舎も昔は木造の学校がたくさんありましたが、次第に鉄筋コンクリートの校舎に取って代わり、今では冷暖房完備の教室で学生は勉強に励んでいます。本校は女子商業校として地域社会の職業人を育成する教育を考えて創立しましたが、次第に大学や専門学校への進学を希望する生徒が増えて、今では高校卒業後に就職を希望する者の割合は30%ほどです。時代とともに学ぶべき内容も変化し、年を追うごとに上級学校への進学率が高まっています。次の100年に向け、「人を育て、人を伸ばす。」という言葉を掲げ、これからも地域社会に貢献できる人材を送り出していくことはもとより、学園自体も地域社会を構成する一員として信頼される存在であり続けられるよう努力してまいります。みなさまの変わらぬご理解、ご協力を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。
創立100周年を祝して
静岡県医師会会長
専門学校静岡医療秘書学院学院長 加陽直実

学校法人長嶋学園創立100周年、誠におめでとうございます。
大正15年に静岡女子商業学校を設立して以来、戦災で校舎を失うという苦難を乗り越え、地域に根ざした学びの場を築いてこられたことは、誠に意義深いことであり、百年にわたり教育の理想を掲げ、地域と共に歩んできたその歴史は、歴代の理事長をはじめとする関係各位の不屈の努力の結晶であり、心より敬意を表します。
専門学校静岡医療秘書学院は、静岡県医師会が医療機関に勤務する事務職に携わる人材の資質向上を目的に、昭和43年に「静岡県医師会副看護学院」として創設され、平成5年に「専門学校静岡医療秘書学院」と改称し、学校法人長嶋学園に運営を委託して現在に至るまで多くの学生が本学院で学び、社会へと羽ばたいていきました。
今、医療界では医療DXや医師の働き方改革に加え、少子高齢化の急速な進展により医療需要も大きく変化しています。その中で医師を支える医療秘書は診療の効率化や円滑な患者対応を担う重要な存在です。これまで本学院は、日本医師会認定校として時代の変化に応じた教育を推進し、地域医療に貢献する人材の育成に取り組んでまいりました。これはひとえに学校法人長嶋学園のご支援の賜物であります。100周年は過去を振り返ると同時に、未来に向けた節目でもあります。専門学校静岡医療秘書学院は、これからも学校法人長嶋学園のもと学生一人ひとりの可能性を伸ばし、地域と共に歩む教育を展開してまいります。
結びに、貴学園のますますのご隆盛を祈念し、お祝いの言葉といたします。
創立時の思いを引き継いで
城南高等学校・中学校校長 村上紀彦

初代校長の長島行吉先生は第1次大戦後の不況時、それまで男子だけだった社会の働き手を女子も活躍出来るように産業教育を学ぶ機会を創れば、日本の産業界は目覚ましい発展を遂げるだろうと考え、長島弘裕氏、鈴木峯五郎氏、柴毅氏、三枝恵作氏の4名と共に静岡女子商業学校を創立しました。そして、創立にあたり長島行吉先生は開校の精神を襷がけの淑女とされました。襷がけとは着物の袖が作業の邪魔にならない様に紐を交差させて止め、授業に集中し心を引き締める事を意味し、淑女とは品位や礼節、落ち着き、計画性、管理能力を備えている女性を意味しています。生まれ育ちや資産は関係なく、どのように生きていくかというスタイル、精神の在り方を説いたものです。
多くの学校では校訓を四字熟語や「創造、継続、誠実、感謝」のような二字熟語を掲げていますが、本校では創立時より私たちの栞(私たちの人生を導く手引書・案内書)として
女性らしく優しく表現し
一、先ず健康と明るい心
一、道に従い優しく強く
一、仕事は忠実 務は責任
一、御国の精華の報恩奉仕へ
と掲げていました。
初代校長の長島行吉先生が生徒とお話しする時には、「御国の精華の高き文化へ」とされ、日本の国の高い文化を自分たちが創造する事を目標としました。
二代目校長の長島完二先生は昭和33年に就任、新校舎、体育館の竣工により活躍する部活動が増えてきました。
三代目校長の増田亮雄先生は昭和47年に就任。入学式他、式の度に兎と亀の話をされ、商業の魅力と毎日継続してこつこつと勉強することの大切さを説きました。
四代目校長の増田正史先生は平成10年に就任、誠実に真面目に生きる事の大切さを常に話されていました。平成15年には男女共学の城南静岡高等学校中学校に改称し、大学へ進学する生徒も増え始めました。共学となり校名を改めたとき、私たちの栞を校訓とし、4行目を「報恩奉仕の毎日へ」と変更しました。
五代目校長の廣瀬尚史先生は働く人への感謝と歴史を繋ぐ事の大切さを生徒に伝えていました。
六代目の私は自分の思いと初代の思いが重なり、「創造」を目標に掲げ、生徒に発見や発明、起業の出来る人間になってほしいと願い教室に掲示させて頂きました。
その年からコロナ禍での外出自粛や働き方改革により多くの制限がされましたが、コロナ禍のような苦しい時にこそ新しい技術や物が生まれます。その新しい物や技術も、それを販売するまでは多くの検証をし、国や県など多くのチェック、許可を得て初めて世に出て歴史に残ります。「創造、政治、商業」が揃わないといけないことが実感させられました。そして、何よりも1番大切なのは先ず健康と明るい心です。